完璧にやろうとしないこと。

2023年7月16日(日) はカフェムリウイでのライブ。4月から木下ときわのアルバム制作が続く中で、その途中経過を少し聞いてもらえたように思う。

ライブのことは木下ときわのSNSなどに色々と上がっているので、ギターを弾くにあたり何を考えていたか、少し書いておこう。

今回の自分のテーマは、「完璧にやろうとしないこと」。言葉を足すなら、クラシック奏者のようにノーミスできれいに弾こうとせず、ジャズ奏者のようにミスを受け入れながら弾くことを心がけるということ。

10年以上にもなろうか、もうかなり長い期間、おもにソロギターのさい、ときどき来る左手の震えのような症状に苦しめられてきた。とくに小指や薬指で何かを弾こうとすると、震えて全く弾けないときがあった。

詳細は長くなるので割愛するけれど、身体の機能的なことから来ている面もあり、指のメカニズム、フォームのことなど、ずいぶんと研究して、だいぶよくなったのだが、それでも完全には治らないままだった。

今回のライブ1週間前の7月のある日、個人的な集まりで、頼まれてクラシックギターでバッハの曲を弾くことになった。簡単な曲なのだけど、ソロギターでクラシックを人前で弾く機会がほとんどなく、また指が震えて失敗するのもきまり悪いため、よくよく練習していった。

そして当日。1曲目のバッハ。家ではラクに弾けたのだが、本番ではやっぱり指が震えてしまい、なんとか弾ききったものの、スタート直後からゴールまで、終始足がもつれながら100m走を走るような格好になってしまった。

2曲目は自分アレンジの「男はつらいよ」。これも弾く前からしどろもどろになりそうなムードで、案の定震えが止まらないまま曲が進む展開。こんなとき、これまでは「なんとか形だけはきれいに弾ききりたい」と思いながら結局うまくいかず、となっていた。

しかしこのときは、ある大変お世話になった人の初盆だ。弾きながら指がもつれまくっている最中に「ええい、もうミスだらけでもしどろもどろでもよい、気持ちひとつで弾き切ろう」と思った。終わった時、聞いていた故人のご主人であるおじいさんが涙を流していた。互いの心にふれる、とても良い会になった。

その経験から、「自分はクラシック奏者のようにミスなく完璧に弾く人じゃなく、ある種のジャズ奏者のように、たとえそれが大一番でもレコーディングでも、ミスをしながら弾く人」だろう、と自分像を整理できたように思う。そんな気持ちで、この日のライブにのぞんだ。

たとえばエリック・クラプトンは、エレキもフォークもガットも弾く。即興でブルースを弾き、歌も歌う。曲も作る。今回のライブでの自分もそうだ。そんな人が、クラシックのソロ曲をクラシック奏者のように弾けないのは当然で、エリック・クラプトンでも無理だろう。

どだい不可能なことをやろうとしていたことに気づいて、その考えを捨ててのぞんだら、嘘のように震えがなくなり、この日はのびのびと弾けたように思う。そして皮肉なことに、むしろミスをしなかったのだった。自分像の整理。思考の整理。身体を整えた最後に残った、そんな精神面を整理して、10年以上に及んだ問題をクリアすることができた。

初盆の集まりで「クラシック曲をやってくれ」と頼まれたとき、自分にクラシックは無理だから断ろう、とはせず、大切な人の頼みだから、と失敗を覚悟して思い切って引き受けたことが転機となった。