洗い流されるということ。

丸一日台風のため在宅。ちょうどいい機会なので家を掃除。
この暴風雨でも、東京でマンションにこもってるかぎり、ほとんど怖いことは無い。屋根が飛んだらどうしようとか、手塩にかけて育てた稲が心配だなあとか、川が氾濫したらどうしようとか。考えないです。ガラスがガタガタいってたのも昔の話だ。人がそれなりに対策を講じてきた結果ですが、なんだか都会人全体が”殺虫剤でも死なないゴキブリ”みたいなヘンな強さを獲得しちゃった気がして。でもぼくの食べるだろう米を育ててる農家のおじさんは、きっとすごく稲を心配してるんですよね。強くなったんじゃなくて、誰かが僕の”心配”を身代わりしてるだけだろうか?
模様替えはまずベランダを片づけて野菜作りができるようにしてみました。なんとなく水まき用ホースまで設置、何を栽培するか考え中です。まずはカレー用のトマトか?
それから本棚整理。最近読まなくなった哲学書と音楽理論の本、楽譜はほとんど実家送りになりました。ムズかしそうなものがだいぶ部屋から消えたわけですが、そういうものは「大人が好きそうな苦い飲食物」だったんで。ひと通りかじって、ちょっと飽きてきたのかもしれません。無駄だったかというとそういうわけでもない。
2日間に渡って部屋中ひっくり返し疲れたがスッキリ、泥を洗い流した感じだ。昔の苦悩あふれるノートなど見つかって楽しかった。明日はなんと青山でオーラソーマ(カラーセラピー)である。ライブに来たお客さんがセラピストで、すすめられたのである。スッキリ気分のつもりだが判定やいかに?