今日、ようやく被災地の友だちに
おいしいパンや果物、本など、
物資を送ることができた。
元気で生きて欲しい。
本当に祈る思いだ。
さてそれはそれとして、
なんかこう、東京にいる自分の中では、
「地震情報疲れ」みたいな時期です。
今日近所の温泉に行ったんだが、
テレビがついてて
地震や原発のことやってても、
あんまり見たくない。
地震ネタ、休憩!
そこでつい、
「温泉なう」
「今日のランチは美味しいなう」
的なことを書きそうになってハッとした。
ツイッターやミクシィやフェイスブックって、
個人的な秘密の日記っていうんじゃなく、
他人が見れるメディアなんだから、
そこに書くことは、
その人からのメッセージ、アナウンスと受け取られるわけで、
そこんとこ注意だ、と。
被災者への気遣い?
そんなもんじゃない。
僕は福島には自分の山小屋もあるし、
そこが原発の30km圏内だしで、
体は平気でも、気持ちだけはかなり被災した。
被災者への気遣い、なんて言えるほど、他人ごとじゃないのだ。
何に対してハッとしたのかというと、
このつぶやきを見ることができる政治家さんや官僚さん、
東電さんや保安院さんに対してだ。
つまり、「つぶやき」っていう訳語がついているが、
僕たちが日々書き込んでるつぶやきは、
誰でも見れるんだから、
本当はつぶやきをはるかに超えた、
「民意」「メッセージ」「アナウンス」だ。
うっかりデマを拡散すれば
大きなパニックが起こるし、
逆にその「つぶやき=アナウンス」が、
困っている人を助けることもある。
政治家も、官僚も、被災者も、
ダイレクトにみんなの「つぶやき=アナウンス」
を目にしている。
さてもし、
今のこの時点で、首都圏の人間おおぜいが、
「今日のランチは美味いなう」
と言っているのを見たら、
官僚さんや東電さんや保安院さんは、
「あ、こんなにひどい対応しちまっても、まだ平気なんだ。
さすが日本人、喉元過ぎればなんとやらだね。
原発を東京から遠い福島に作って良かったね」
て思うかもしれない。
僕も官僚になって甘い汁吸うんだー、天下るんだー、
ていう大望の志士は
ぜひ今、「今日のランチは美味いなう」
と言い続けるといい。
ますますお上は、
「こんなでもまだ怒らないんだ、ナイス庶民!」だ。
お上になったらパラダイスが待っている。
エジプトの例を出すまでもなく、
こういうソーシャルメディアの
アナウンス力を庶民がどう使うか。
そろそろ疲れてきそうな時期だなーと思ったから、
僕は美味しいもん食って、のんびり温泉も入った。
でも僕はたとえ自分が、
美味しいランチを食って、
温泉入って、
つかのまの「ぼーっとする」を楽しんでても、
官僚さんや東電さんや保安院さんの見てるところで、
「温泉入ってぼーっとしたなう」
「今日のランチは美味いなう」
はまだまだ口が裂けても絶対つぶやけないなあと
思っているところです。
一庶民として、何をつぶやく=アナウンスするのか、
ようやく考える様になりました。遅すぎ。
この話、「被災者に対して不謹慎」という話と勘違いしないで欲しいなあ。