中間を見せる

茂木健一郎さんが歌舞伎役者の玉三郎について。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/professional/2008/01/post_1712.html
この記事のまん中あたり、
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「所作だけを最小限やるような稽古と、
没入して振り切れてしまったような稽古を
両方やっておいて、
 その中間のところにさっと降りて
本番の舞台をやるのです。」
 
 いったん振り切れておかないと、
中間のところにもいけないと
玉三郎さん。
 
 誰も見たことがないという、
玉三郎さんの「振り切れた」踊りは、
一体どのようなものなのだろうか?
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練習で振り切れておくって大事だなと思う。
いっぽう本番で「振り切れた」ものが見たいって思うのは
人間の「終わりなきスケベ心」で、
それを見せてしまうと芸というものが
成り立たなくなってしまう。
ロック的に「振り切れた」リアリティを見せることと、
その一方で「演じる」という芸のあり方の、
繊細だけど大きな違いが
ここにある気がする。


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