お昼から夜にかけて、みっちりリハをひとつ。
その後新宿で、大学ジャズ研のときの友だち数人と久々に飲む。女性メンバーふたりのうち、ひとりはなんと現在ヨガの先生。飲み会はいつの間にかヨガ会になり、居酒屋の座敷で簡単なヨガ。
佐藤さん(accordion)や、同席した河崎さん(b)もなんと現在ヨガ修行者である。僕と同世代の演奏家は、こういう形で肉体と向き合う人間が多い。一方もっと上の世代の人は、体のことなんか考えない感じがかっこいい、体壊すのが音楽家、みたいな風土だったのか、”体観”がちょっと違う人を多く見てきた。心身の「屈折ぶり」を、音楽の原動力にするような。僕はといえば、そういう考えとひとまず距離を置いて過ごすこの頃。
芝居は芝居で、ジレンマがあるわけですね。
「段平」の時代ー大正期とか、60年代とか、時代ごとに〜イズムのブームがあり、それにはわりと多くの人が娯楽性を見て乗っかるのですね。
でもその後から現在まで、リアリズムは娯楽でも何でもない。いまでは歌舞伎役者にキャーキャー言う時代。ところがほんのわずかな時代、不運にも古物扱いされた殺陣師の「悲劇」としてこの映画を見ました。
革新派が守旧派より立場が強い、というシチュエーションは現実世界にも物語にも少なくて、ユニークですね。さすが黒澤、と 笑。
殺陣師って面白い職業ですよね。
最近仕事が減っているとぼやいてましたが・・・
「殺陣師段平」
私が好きな映画の一つです♪
近代演劇が抱える矛盾がよく表れてて、
私も沢田と似たようなことを考えます。
リアリズムの追求をすることで、
演技の幅は広がると思います。
絵画でも写生を大事にするのと同じで。
でも、基本的に芝居は観客がいて成り立つもの。
(寺山修司が考えたような、
舞台と観客席の二元論から脱却を試みる芝居もありますが。)
リアリズムの追求は役者がやりたいことであっても、
観客が喜ぶとは限らない。
リアルよりも誇張したほうが面白かったり
伝わることが多いんです。
(だから歌舞伎は型が出来たのだと思います。)
ただ、所詮芝居は芝居。
リアリズムを追求するその中にも演技があって、
そこに面白さを見出すのが、
一時期ブームになった「静かな演劇」でしょうか。
でも一般受けしないんですよね。
仕事で疲れた後に見たいと思うような面白さはないですから。
ここに芝居の難しさがある。
長々とすいません。
映画の最後で、段平が殺陣をつけつつ息を引き取る場面は泣けてきます。
演劇人って私生活と芝居がごちゃまぜなのは
今も昔も変わらないかも・・・
なるほど、芝居でもそういうことがあるのですか。
殺陣師の指導で、というのは面白いですね。脚本:黒澤明「殺陣師段平」という映画がありますね♪
興味深い話ですね。
確かに、肉体との向き合い方って、
世代の違いがあるような気がします。
芝居の世界でも、特に昔は、
「体を壊して生まれてくる感覚」
を大事にしてました。
稽古はとにかくマラソン!だったり。
凝り固まったプライドを捨てて、
自然に湧き上がる感情や行動を大切にする。
一つの役作りの手法ではあると思いますが、
最近は減ってきたような気がします。
ヨガは未体験の私ですが、
芝居をしていた頃、殺陣師の指導で、
「自分の体を意識する」
というトレーニングをしてました。
体に一本の棒が通っている感覚をもち、
慣れてきたら体のあちこちに意識を置き、「気」を送る。
肉体の存在を実感した、面白い経験でした。