最近、朝は文楽のCDを流してます。
ぶんらく、落語の桂文楽ではなく、
人形浄瑠璃の文楽です。
このところ自宅作業が続いていて、
何か音楽かけたいな、ってBGMを探すんだが、
なかなかしっくり来るものが見つからず。
自分の好きな音楽をかけるのって、
BGMにならないというか。
聞いちゃうし、
もっとこう、
自分じゃない、「世間の外気」を部屋に入れたいというのがあって。
一人でずっと仕事していると、
自分じゃない外の風に当たりたくなる。
そうなるとラジオもいいんだが、
最近番組内で、プロモや通販のワクが多すぎて、
これまた、さわがしい。
世間の外気を、なんてことで
手持ちのビヨンセをかけてみるも、
なんだか遠い国すぎて落ち着かず。
J-POP、オルタナ、にしても、
最近のシンガーソングライターの歌詞が個人的すぎて、
世間の外気、っていうより、
歌手という知らない個人に、
ぶっちゃけ話をされてるような気になってきます。
作詞家の阿久悠さんが今生きておられたら、
どんな歌詞を書くだろうか。
ふと、持ってた
「双蝶々曲輪日記 引窓の段」
竹本住大夫&野沢錦糸をかけてみたら、
これが意外にもぴったり。
物語としては、
時代の外気、どころか、
何百年も前のお話ですが、
今の時代に聞いても、
深いところで今の人間観とつながっていて、
わかるわかる、って思える。
趣味的な「和風」ではない、
三味線の音、語り声に、
なんだかホッとしてしまった。
優しげで邪魔にならないもの、
これがBGMにふさわしい、って
普通は思われているかもしれないが、
ほんとうに心地良いBGMというのは、
もっとこう、
人間や音楽のことを
知り尽くした人にしか作れないんじゃないかな。